千葉県印西市の千葉ニュータウン中央駅にあります泉倉寺にお参りにいってきました。用事がありましてお邪魔させていただいたのですが、住職さんからいろいろなお話をお聞きすることができました。
ここには多くの寺宝が残っているのですが、その中で、とくに面白いものを見せていただきました。下記の掛け軸はお釈迦様のご遺骨を納めた舎利壺の図です。
舎利壺は1898年にインドのピプラワーで調査隊によって発見されました。これによりお釈迦様の実在が考古学上で実証されたわけであります。
ほとんど知られていないことですが、この舎利壺が発見された当時、日本人の僧侶がピプラワーにいてこの調査の様子を見ておりました。それが天台宗の僧侶、大宮孝潤(1872-1949)です。かれはインドで仏教を学ぶためにインドに11年もの間、留学していました。大宮は帰国後、善光寺や浅草寺といった寺院でインドで学んだ学問を教えていました。かれはいつも懐にこの舎利壺の図の詳細を記した紙を持ち歩き、これを人々に紹介したとのことです。その一つがこの掛け軸の図であります。
昨年、わたしもインドの仏跡巡りをした際にこの舎利壺が発掘されたピプラワーに訪れました。交通の発達したいまではインドという遠い土地にでもすぐに行くことが出来ますが、大宮の時代はどうだったのでしょうか。また、舎利壺を間近に拝した時のかれの感動はいかばかりだったのでしょうか。大宮のような僧侶の名前がもっと認知されればかれの苦労も報われるだろうと思うわけです。