ベナレスから10㎞ほど北上したところに、お釈迦さまが初めて説法を行ったサールナートの都市がある。 サールナートの遺跡には、高さ43㍍の巨大なダメーク・ストゥーパがそびえている。ここから、仏教美術としてきわめて重要な初転法輪像やアショーカ王柱の頭部などが発掘されており、現在は遺跡に隣接するサールナート考古博物館に納められている
《さとりの後に》
菩提樹の下で覚(さと)り開かれたお釈迦さまは、その後七日間、座禅をしたまま「さとりの境地」を味わっておられました。覚りを得た満足感にしばしひたっておられたのです。
その後、お釈迦さまは、自分の覚った内容を世間の人々に説くべきか否かしばらく考えたといいます。お釈迦様の心の中にあったのは、「世の中の人々は、さまざまなことに執著し、快楽に夢中になっている。わたしが教えを説いたとしても、他の人々にさとりの意味を理解してもらえるだろうか。この教えを自分のものだけとして、このままさとりの喜びの中で生涯を終えるのも悪くはない」という思いでありました。
《梵天の勧請》
そこに、梵天という神があらわれ、お釈迦さまに懇願します。
「あなたは、さとりを自分独りのものとして、喜びを満喫しているようですが、あなたがさとりを開いたのはいったい何のためであったのでしょうか。教えを説くことは難しいことかもしれませんが、多くの人びとの救うのために、あなたはあえてその法を説かねばなりません」。
これは、一般に「梵天勧請」といわれる有名なエピソードです。
《初めての説法》
そこでお釈迦さまは、伝道を決意し、かつて一緒に苦行を重ねた五人の修行者たちを探しました。彼らならば、きっと覚りの内容を理解してくれるに違いないという確信があったのです。彼らは修行をサールナートという都市で続けておりましたので、最初の説法がサールナートとなったのです。
そして、この最初の説法を、初めて教え(法)の車輪が回った(転じた)ということで、「初転法輪」というのです。五人の修行者たちはその説法に感銘し、お釈迦さまの弟子(仏弟子)になりました。
《仏教の成立》
お釈迦さまが人に仏教の教えを伝えたことは、宗教としての仏教が成立したことになります。お釈迦さま一人で覚りを秘めたまま亡くなってしまえば、そのまま仏教が世界中に広がることはなかったでしょう。ですので、 初転法輪は大きな意味をもつのです。したがって、このサールナートという場所も、聖地の一つとして重視されるわけです。